いわれもない罪で大宰府に左遷された菅原道真。
京の都を旅立つ前に、家の梅を見て詠んだ歌が「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」の一首です。
このページでは、和歌の現代語訳はもちろん、古文文法や言葉の意味、歌が詠まれた背景などを解説します。
目次
和歌の解説
東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな
(拾遺集・雑春・1006 菅原道真)
詞書:なかされ侍りける時、家のむめの花を見侍りて
現代語訳
春になって東から風が吹いたら、(私のいる大宰府まで)香りを届けておくれ、梅の花よ。
家の主人である私がいないからといって、(花開く季節の)春を忘れるなよ。
詞書:菅原道真公が大宰府へと左遷されなさったとき、京都の家の梅の花をご覧になって読んだ歌
語釈(言葉の意味)
和歌の語釈
こち【東風】
東の方から吹いて来る風。特に、春に吹く東の風をいう。[日国]
にほひ【匂ひ】
かおり。香気。[全古]
おこす【遣す】
こちらへ届けてくる。よこす。[全古]
あるじ【主】
家や店の主人。また、主婦。[日国]
詞書の語釈
ながす【流す】
流罪に処する。島流しにする。[全古]
文法
文法の補足解説
とて
《引用の格助詞「と」に接続助詞「て」が付いて一語となった》
…といって。…と思って。
修辞法
句切れ
三句切れ説と二句切れ説がある
(現代語訳は三句切れ説をとった)
擬人法
梅の花を擬人化して「匂いおこせよ」「春を忘るな」と呼びかけている
鑑賞
梅の花にたくした無念の想い
優れた学者として、また政治家として活躍した菅原道真。
宇多天皇に重用され、右大臣の地位まで上り詰めるが、学者の家系である道真の活躍を快く思わない貴族たちも多かった。
昌泰4(901)年、道真を政界から追放しようとたくらむ左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)らの計略により、無実の罪で九州の大宰府に左遷される。
京の都を発つときに、家の紅梅殿の梅を見て詠んだのが「東風吹かば 」の歌。
春になると吹く東からの風に乗せて、都からはるか西の大宰府まで梅の香りを運んでおくれと詠んでいる。
道真は同時に「桜花 主を忘れぬ ものならば 吹き来む風に 言づてはせよ」とも詠んでおり、庭に植えた花々に別れを告げなければならない無念を感じさせる。
菅原道真と梅
菅原家は代々学者の家系であったが、道真はずば抜けた才能を持っていた。
わずか5歳にして和歌をたしなみ、11歳のときには「月夜見梅花(月夜に梅花を見る)」と題した漢詩を残している。
月輝如晴雪(月の輝きは晴れたる雪の如し) 梅花似照星(梅花は照れる星に似たり) 可憐金鏡転(憐れむべし 金鏡転じ) 庭上玉房馨(庭上に玉房の馨れることを)
「月夜見梅花」の詩や「東風吹かば」の歌から菅原道真は梅を好んだと考えられ、菅原道真の子孫の家紋や、菅原道真をまつる天満宮の神紋には梅のモチーフが使われている。
「東風吹かば」の歌はやがて「飛梅伝説」を生んだ。
これは、道真が「東風吹かば」と詠んだことで、京都の家の梅が遠く大宰府の道真のもとに飛んで行ったとされる伝説であり、太宰府天満宮の境内には伝説にでてくる飛梅が実在する。
この伝説は後世『十訓抄』などの説話集にもとりあげられ、菅原道真と梅について人々に印象づけることとなった。
他出典
菅家、大宰府におぼしめしたちけるころ、
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
とよみおきて、都を出でて、筑紫に移り給ひてのち、かの紅梅殿、梅の片枝、飛び参りて、生ひ付きにけり。
『十訓抄』六ノ十七
飛梅伝説について書かれた一節。
結句が「春を忘るな」ではなく「春な忘れそ」となっている。
「東風吹かば」の初出となる『拾遺和歌集』には「春を忘るな」と載っていることから、道真が実際に詠んだ歌は「春を忘るな」であったとする説が有力であるが、明確なことは分かっていない。
文法の補足解説
な…そ
相手に懇願し、婉曲に禁止の気持を示す。
どうか…してくれるな。どうぞ…してくださるな。[日国]
作者紹介
菅原道真(すがわらのみちざね)
承和12(845)年6月25日~延喜3(903)年2月25日
平安時代前期の学者、政治家。
学者の家系に生まれ、幼くして類まれなる学問の才能を発揮する。
若くして現在の漢文学・中国史の大学教授にあたる文章博士(もんじょうはかせ)に就任し『類聚国史』、『三代実録』などを編集。
宇多天皇や醍醐天皇に仕え、遣唐使の廃止を進言するなど、政治家としても活躍。右大臣に昇進した。
しかし学者である道真の活躍を快く思わなかった、ときの左大臣 藤原時平(ふじわらのときひら)の計略により大宰府に左遷。失意のうちに生涯を閉じた。
後年、都で凶事が相次いだことが道真の祟りだと恐れられ、左遷は取り消し、最高位である太政大臣の位が贈られた。
やがて天神様として神格化され、現在も日本全国の天満宮や天神社にまつられ篤く信仰されている。