逐吹潜開 不待芳菲之候 迎春乍変 将希雨露之恩【紀淑望】

逐吹潜開 不待芳菲之候 迎春乍変 将希雨露之恩【紀淑望】

『和漢朗詠集』の一番はじめに採用された漢詩が、「吹を逐ひて潜かに開く 芳菲の候を待たず 春を迎へ乍に変ず 将に雨露の恩を希はんとす」です。

『古今和歌集』真名序の作者・紀淑望(きのよしもち)の作と伝わります。

このページでは、漢詩の現代語訳はもちろん、漢文文法や言葉の意味、詩が詠まれた背景などを解説します。

漢詩の解説

逐吹潜開 不待芳菲之候
迎春乍変 将希雨露之恩

(和漢朗詠集・立春・1 紀淑望)

詞書:立春日内園進花賦

書き下し文

(かぜ)を逐(お)ひて潜(ひそ)かに開く
芳菲(ほうひ)の候(こう)を待たず
春を迎へ乍(たちまち)に変ず

(まさ)に雨露(うろ)の恩を希(ねが)はんとす

詞書:立春の日、内園(だいえん)に花を進(たてまつ)る賦(ふ)

現代語訳

風が吹くと、梅がこっそりと花開いた。
たくさんの花がかぐわしく咲き乱れる春の盛りを待たないで。
立春の今日を迎え、(つぼみから)急に姿を変え(花を咲かせ)る。
(これからくる春の)雨や露の恵みを受けようとして。

詞書:立春の日に、宮中の庭園で梅の花を献上したときの賦

語釈(言葉の意味)

漢詩の語釈

かぜ【吹】
 風がふく、ふき動かす、かぜ。[字通]

おふ【逐ふ】

追いかける。[新漢和]

ひそか【潜か】
こっそりと。[新漢和]

ほうひ【芳菲】
草花などのかんばしいこと。また、香りのよい草花が繁茂していること。[日国]

こう【候】
気候。時節。[新漢和]

たちまち【乍】
急に。ふと。[新漢和]

うろ【雨露】
(1)あめとつゆ。
(2)雨と露とが万物をうるおすように、恵みのあまねくゆきわたるさまにいう。[日国]

おん【恩】
目上の人から受ける感謝すべき行為。めぐみ。なさけ。いつくしみ。[日国]

ねがふ・こひねがふ【希ふ】
希望する。 [新漢和]

詞書の語釈

だいえん【内苑・内園】
宮城内の庭園。禁苑。ないえん。

すすむ・たてまつる【進む・進る】
ささげる。献上する。[新漢和]

ふ【賦】
漢文の韻文体の一つ。事物の様子をありのままに表わし、自分の感想を付け加えるもの。対句を多く用い、句末は必ず韻を踏む。[日国]

文法

文法の補足解説

将ニ…ントす
《再読文字》
…しようとする。…するつもりだ。

鑑賞

天皇の恩情を雨露の恵みに例えて

梅が雨露を浴びて花開くように、自身も天皇の恩情を受けて出世したいものだと詠んだもの。
つぼみが花開くさまが華々しい栄達の道を想起させる。

漢詩において雨露は天子の恩情の比喩として使われることが多い。

君恩若雨露(君の恩は雨露の若し)
君威若雷雲(君の威は雷雲の若し)
(白氏文集・巻二・和思帰楽詩 白居易)

『和漢朗詠集集註』には、醍醐天皇の御前にこの賦を献上することで、紀淑望は従四位に昇進したと伝わる。

『和漢朗詠集』は藤原道長の娘・威子の入内に際し作られた、詩歌を書き添えた屏風がもとであるとされている。
娘たちを入内させることで栄華を極めた藤原道長は、まさに雨露の恩を一身に受けていた。
撰者・藤原公任は、「逐吹潜開(吹を逐ひて潜かに開く)」の賦に藤原家の栄華を重ねていたのかもしれない。
結婚を寿ぐにふさわしい賦だからこそ、『和漢朗詠集』の一番に選ばれたのであろう。

『古今和歌集』と『和漢朗詠集』

藤原公任は、和歌と漢詩の秀句を集めた『和漢朗詠集』の一番だからこそ、『古今和歌集』真名序の作者である紀淑望の漢詩を用いたとも考えられる。

紀淑望は紀長谷雄の子で、いわずとしれた貫之の従兄弟だが、それよりも公任は淑望が『古今集』の真名序を書いたということを重視したにちがいない。真名序は漢文で書かれた序文のことをいう。仮名序は貫之の執筆である。
こうして『和漢朗詠集』の冒頭を立春から始め、その歌詞を真名序の紀淑望としたことによって、ここに「和漢」の並立というコンセプトが立ったのである。

松岡正剛の千夜千冊『和漢朗詠集』

『和漢朗詠集』は漢詩では白居易の詩が最も多く、和歌では紀貫之の歌が最も多い。
『古今和歌集』と『白氏文集』は当時の貴族の一般教養であった。
真名序の作者・紀淑望によって詠まれ、「雨露の恩」が白居易の漢詩を想起させる「逐吹潜開(吹を逐ひて潜かに開く)」の賦は、『和漢朗詠集』の一番にふさわしいといえよう。

異同

詞書を「内園」ではなく「内宴」と表記する諸本もある。
内宴とは正月21日頃に催された天皇による内々の宴会である。
宮中に漢詩に優れた文人を招き、宴が行われた。
立春とは時期がずれるため、詞書に矛盾が生じる。

また、本記事では作者を紀淑望としたが、唐の詩人・公乗億を作者とする説もある。

作者紹介

紀淑望(きのよしもち)
?~延喜9(919)年

平安時代の漢学者、歌人。
漢学者・紀長谷雄の長男であり、紀淑人の兄。
現在の漢文学・中国史の大学教授にあたる文章博士(もんじょうはかせ)や、皇太子の先生にあたる東宮学士を務め、従五位上に叙された。(『続群書類従』の「紀氏系図」では従四位上とする*1
『古今和歌集』真名序の作者とされる。


*1 国立公文書館デジタルアーカイブ「続群書類従」(2022年11月25日参照)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA